久しぶりに書く意欲が湧いてきまして、忘れていたインド旅行記最終章を書きたいと思います。ずっとこれだけ書いていなかったと思っていたのですが、食のことは全く書いていませんでした。まあほぼ毎日カレーを食べていたのですが。
@ニューデリー
道端の屋台にて
たまたま通りかかったところが現地人で混み合っている感じだったので、入りました。一緒の席にいた家族が助けてくれたり。ここのチャパティにはネギが練りこまれていて香ばしく美味しかった。もちろん手で食べます。
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前回まではジャイサルメールでのいろいろについて書いてきました。ジャイサルメールはインドのラジャスターン州では小さめの街のようですが、ジョードプルはもう少し大きな城下街のようです。ブルー・シティと呼ばれる所以は、青い建物が多いからみたいです。実際城下町は青い建物でいっぱいです。
さてさて、ジョードプルに到着した日はちょうどホーリー祭。到着してから幾つかの客引きにあい宿までのオートリクシャをの値段交渉。地球の歩き方で読んでいたよりも高かい印象だったけれどもとりあえずそれが限界のようだったので、それで宿まで向かいます。
この日まで道端で販売されていた色粉を塗りたくり合う、というのがこの祭りですが、早速宿へ向かう途中でホーリー祭で賑わっている人たちの写真を撮っていると早速洗礼を受けます。粉がカメラに着いてしまう、と慌てつつも幾つかの集団に出会うたびに塗りたくられる・・。
宿に着いてから街歩きでもしようと思い外へ出ると更に塗りたくられる状況。街中はカラフルな若者、おじさんとかもなんとなく楽しんでいる感じ。まちなかを歩いていると皆から写真撮ってとせがまれます。写真撮りたい観光客的には嬉しい限り。笑
アバター化する若者。
家族で。てか4人乗り!?
宿は砦の入り口から近いところで、屋上から砦が見渡せるのでそれはよかったです。街は大きく、昼飯食いにいくのも割と苦労します。ジャイサルメールでは歩いてどこでもいけたのに、こちらはオートリクシャに乗らないとやってられません。かつ、超暑いので夏バテしないように気をつけた方が良いです。
砦はインド人観光客が多い感じでした。
おいらのターバンな、、。
・・・こんなに長いんよ!
夜の砦。ちょいライトアップされる。
それ以外にもマハラジャのでかいお屋敷も郊外にあったりします。早朝にオートリクシャ頼んだら結構安く行けました。しっかしこの辺は昼間あるくとくたびれるし、それによって夏バテっぽい症状になってしまい半日くらいは宿に引きこもっていたりしました。
こちらがマハラジャのお屋敷。割と市内からは遠いので、オートリクシャでしかいけません。マハラジャはただの金持ちじゃなくて、社会的な奉仕活動も行うような存在で、街のヒーロー的な存在だったみたいです。インドには金持ちはただの金持ちじゃなくて、ちゃんと下に還元するというような考えがあるようです。
ジョードプルは個人的には大きすぎてマッチしませんでした(熱中症っぽくて体調不良のせいもあるかもしれないけど・・)。市内移動にすこしお金もかかるので、ジャイサルメールの方が個人的には好きです。ちなみに、ニューデリーからジョードプルまでとジャイサルメールまではジョードプルの方が近いです。ジョードプルまでは飛行機もありますが、ジャイサルメールはありません。ただ、ジャイサルメールまで足を伸ばした方がいいかなあと個人的には思います。
写真撮られても見やしないのに、撮られたがりのインド人。
ちなみに今週のお題「わたしの一足」はMerrelの靴です。もう2年くらいずっと履いています。
4月はいつもに比較して少し忙しかったようで、余裕がなく全く書けていませんでした。無事Golden Cityと呼ばれる砂漠の街ジャイサルメールまで到着(前回記事)しました。あまり知られていない街のようですが、ここは古代において陸路の中継地点として反映したという歴史があるようです。コンパクトな街ですが、それがまた良いところでした。
Day3〜Day5までまとめてのエントリーです。
Day1:羽田発(中国南方航空にて広州 経由)夜23時頃 デリー着、ニューデリー付近にて宿泊
Day2:デリー観光 → 夕方 寝台列車にて移動・宿泊
Day3:午前 ジャイサルメール着、午後 市内観光
Day4:キャメル・サファリ、砂漠にて野宿
Day5:午前 ジャイサルメール市内へ、市内観光
Day6:列車にてジョードプルへ移動 午後着、市内観光(ホーリー祭)
Day7:ジョードプルにてヨガ、観光
Day8:飛行機にてデリーへ、夕方〜夜 デリー、深夜便にて羽田へ
Day9:羽田着 (広州 経由)
〜前回まで〜
前日にデリーから寝台列車にて出発し、翌日の午後前辺りにジャイサルメール駅に到着しました。駅に到着してからホテルまでの送迎つきだったので、タクシーなどの客引きは気にせず直進。
東京パレスというところに宿泊したのですが、スタッフは日本語もしゃべれて気さくな感じでよかったです。中心街まで少し歩きますが、コンパクトな街なので、そんなに気にならずな位置でした。
街には砦(Fort)があり、その周辺に城下町のようなかたちでマーケットや店があります。夕方になると夕日が望めるレストランなどもあるようで、ゆっくり過ごすにはいい街だと思います。気温はかなり高く、40度近くありましたので、真っ昼間にはあまり出歩かずに夕方から出て夜ご飯食べて戻る、という過ごし方がいいかもしれません。東京パレスにはプールがついていますので、あまりにも疲れたら水浴びするのが良いです。
無効に見えるのが砦。ハヴェリーというお金持ち(マハラジャ)が住んでいた家の屋上から。
サーガルという人造湖。アヒルボートの貸出もしてますが、インド人しか乗ってなかった。
囚われる、俺氏。また、写真撮られた。
コンパクトでかわいい感じの砦なので、昔ながらの民族衣装とかをまとった人たちがいて、王さまが特定の時間にでてきて、とか昔の雰囲気を疑似体験できるテーマパークみたいにしたら面白いんじゃないかなあと勝手に妄想していました。気持ち的にはタトゥイーンに来たような感じ?
そこら中に牛が歩いていたり、寝たりしています。牛は神聖ないきものなはずなのですが、蹴っ飛ばしてどかすこともある。
野菜を売っていたり
機械のスクラップとか買い取ってそうなところとか
砦のなかにもお店がたくさんあり、客引きがすごいです。そんな中僕はというと、気になった洋服屋の店員から声をかけられ、「とりあえず中へ入って試着してってよ」とまんまと罠にひっかかりました。買おうと思っていたので、いいのですが、値段感、モノの良さの感覚がまだわからなかったので、「戻ってくるから」とお店を一旦出ようとしました。
すると先方は必死に止めに入る。なんだか面倒だったのでその流れに任せて色々物色し、パンツ・シャツ・スカーフの3点セットを揃えられた。試着し終わると、早速値段交渉・・。
店員(電卓見せながら)「これ(3000ルピー)が定価」
僕「うーん、高いな。これならいいや、砦のほうに行くからもういいよ」
店員「じゃあ(これ3つで)いくらなら買う?」
僕「1000なら買うよ」
店員「いやあ、無理無理うちにも利益が必要で、家族もこれで養わないといけない、1000はキツいよ」
僕「じゃあ買わないよ、じゃあね」
店員「待って待って、理解してくれよ、君は日本から来て、(金があるし、)僕たちはそんなにないんだ。これで養わないといけないんだよ」
僕(キレぎみに)「いや、君の利益がいくらで、この洋服の原価がいくらか俺はわからないから、どの価格が適切かどうかわかんないし。原価いくらなんだよ?」
店員「いやだから、うちは利益必要だし、家族を養わないといけない」
・・、とまさかの泣き落とし作戦でなんどもこの言葉を言われ、こっちも同ことをいい続けるも向こうは折れない。
店員(固執することに懲りたのか)「わかった、1000は無理だけどもう少し値段あげてくれ、いくらなら買う?」
、と再度値段設定を要求してきた。もう買うのも嫌だけど、面倒だからこの場を早く抜け出したいという思いで、買うのはいいけどなるべく価格は押さえたいと思い始める。
僕「じゃあ、1500」
店員(じゃっかん演技っぽい感じで残念そうだが涙ぐみつつ)「わかった。だけどな、うちには養うべき家族が・・。でもこれでいいよ、ありがとう!」
(そして、服をくしゃくしゃに袋に詰めながら)「ぜったいに日本の友達にはこの店をおすすめしてくれよな!」
僕「OK、OK。じゃあねーさんきゅー。」
ぜったいこの店は誰にも勧めないと誓いムシャクシャしながら城へとぼとぼ向かいました。いやあ、簡単な罠ですが、泣き落としでお金を落とすとは思ってもいませんでした。ここにインド人の商魂のたくましさ?を感じました。それくらい生きるのに必死なんだろうな。それは見習いたいと思いましたが、なんとなく良くない買い物をした感じが(そのあとお店で聞くとそんなに高くなかったし)して気持ちよくありませんでした。ちなみにその中のパンツはいい感じにパジャマとして利用しはじめております笑。
インド人の商魂のたくましさ、で思い出すのはここジャイサルメールでは、お金をくれと言ってくる少年少女が多かったです。東京パレスの近くは一般の家庭が住んでいる住居が立ち並んでいたのですが、外で遊んでいる少年少女が「カメラで写真撮って~」と近寄ってくるところまではいいのですが、「マネー」と直接的に言ってくることも多々ありました。もう10代半ばくらいになりそうな少年はホーリー祭のグッズを買いたそうに店をまわっていたのですが、僕を見て「マネー」と言ってきたことには驚きました。これくらいの年になっても自立ができていないようです。
この子たちはマネーとは言いませんでしたが
この子達も普通に写真撮って欲しかっただけだったが
それ以外にもキャメルサファリに出掛けた際にラクダにのりながら通った小さな村の子供が「ペン」と言ってくるのでボールペンが欲しいのだと思い、お金をあげるよりはこれで勉強してくれるのであれば、と思いちょうど手元にあったボールペンをあげると、そのあとこれはもらえるかも、と思ったのか「マネー」といい始めました。お金はあげたくないんだよ、と思っていたので、かなり裏切られた感があり残念でした。
ホーリー祭が近いのでカラフルになっている人が多かった。砂漠に向かう途中。
観光客は確実に自分達よりもお金を持っていると分かっていて、もらえるものはもらいたい、という考えになっているんだろうなと感じました。彼らにはペンが必要なはずなのに、そのペンを与えられず、与えられても活かせる環境がないのではないか、とも思いました。残念に感じる反面、彼らには環境が限られているが、自分自身は比較してしまうといい環境にいて、自分で考えてその環境を変えられるというのは恵まれているということを感じ、もっとチャレンジした方がいいのかなと自省にも繋がりました。
ジャイサルメールの夜。
閑話休題・・。
半日ほどジャイサルメールの街を歩いて、翌日はキャメルサファリに参加しました。砂漠の方まで車で向かい、ちょうどいいところからラクダにのって、砂漠の方へ向かいます。ラクダに乗るのははじめてでしたが、駆け足とかもできるのは意外でした。すこしラクダにのって、草木も少なくなったところまで到着するとそこで夜ご飯の準備を開始。その間砂漠から見える夕日などをみたりしてまったり過ごします。
ご飯は簡単なカレーとチャパティ(ナンの発酵してない版)でした。砂混じりに食べる。食べ終わるとかなり日も落ちてしまい、あとは寝る準備するだけ、という感じです。キャンプファイアをやるとプランには書いてありましたがが、特に声をかけられずにキャンプファイアしないで終わりました。
そこら辺の乾燥した木を薪にして、調理。
夜はかなり冷え込みます。星空はすごく綺麗でしたが、ちょうど満月にちかかったので夜でもかなり明るかったです。昔の人は満月が嬉しかっただろうな。
布団を2枚もらっても超寒い・・(しかもテントなしで野ざらしにされたベッドの上で寝るというなんともサバイバルというかなんというか・・)。優雅な暮らしが好きな人にはぜったいにおすすめしません!笑
そんなこんなでキャメルサファリも満喫し東京パレスへ戻る。午前中に戻れたので休憩して、夜寒かったせいかすこし体調悪くなりながらも市内を観光し、Day5終了。
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〜2016年インド旅記事〜
半日ほどデリーを徘徊し、寝台列車(Jaisalmer Express)で移動。列車予約はインターネット経由だと、海外経由でもやる方法はあるのだが(cleartrip)、インド国内の携帯を駆使しないと難しいようで、こちらも1泊目の宿をお願いしたシゲタトラベルさんにお願いした。もちろん旅程を立てる上ではCleartripは便利なので是非ご活用を。
旅の醍醐味はその膨張した時間感覚にあるように思える。それを一番満喫できるのは、現地の列車での移動だと個人的に思う。今回は今まで以上に長い距離・時間の列車での移動になったが、長すぎと感じさせないのは寝台列車のマジックだ。
Dli Jsm Express (14659)という列車で、Old Delhi駅を17時半頃に出発し、Jaisalmerには翌日の午前11時頃に到着する。ガイドブックやインド関連の本を読んでいると列車は何時間も遅れたりすることがあるようだが、今回はそういうことがなく、18時頃にはOld Delhi駅を出発して、到着も定刻前に済んだ。運が良かったのだろうか。
Old Delhi駅構内には弁当屋、マクドナルドがある。弁当屋はカレーやサンドイッチ、サモサが売っているので乗車前に購入するのも良いが、結局社内へ販売しに来るので、どちらでも良い。
出発してから何駅かは車内販売で水、ジュース、アイス、チャイなどを売りに来るので、それがまた楽しい。かなりゴリ押ししてくるので、要らなければ首を振りながらNoと3回以上言わないと振り払えません。これがインディアンウェイのようです。
ちなみに2等車(2段ベッド型)に乗ったのだが、荷物の危険は感じずにすんだ。もとい、ワイヤーロックを購入しておいて、セキュリティには気をつけようとはしていたが。PCなどを持っている人は十二分に気をつけた方が良いのかもしれない。(逆に言えば、持ち物は盗まれてはダメなものは少なかったのかもしれない)
揺れは全く気にならない。夜が更けてきてウトウトしていたのだが、どうも周りの人たちもみんな眠りについている様子だった。社内の係員がベッドを作ってくれるという噂だったが、違う情報だったようで聞いてみると、「自分でやれ」とのこと。
夜明け一瞬起きたような気がするが、だいぶひがでてからの起床。目的地のジャイサルメールからはまだ遠いみたいなので、乗車口から外を眺めたりで時間をつぶした。
腹が減ったがこの区間は誰も売りに来ないよう。たしかPAKORA?という駅に停車中にみんなが外に出て行くのを見て、電車が出てしまうのではないかとおびえながらも降りてみる。人がたくさん集っている売店でサモサとピーマンにいろいろ詰まった揚げものを購入して、朝ご飯とした。
そんなこんなで列車の旅も終了。ジャイサルメールに無事到着、しかもほぼ定刻通りに。
夜は駅で買えるが朝はないので、おやつはいくつか買っていった方がよさそう。魔法瓶にチャイとか入れて持ってくのもたまに水以外のが飲みたくなったときによさそう(現地インド人は大きな水筒持っていた)。
今回はデリーへは初日と最終日の出入り口として訪れました。インドの首都でありインド北部の大都市のこの地。インドといえばなんとなくIT会社などを思い浮かべてしまいますが、ここはあまりそんな雰囲気ではありませんでした。僕は首都はあまり楽しめないタイプなので、インド然り、デリーにはあまり惹かれませんでした。
初日は夜遅くにデリー国際空港に到着予定だったのですが、当初は空港で野宿しようと思っていました。荷物もあるし、さすがに辛いかな、ということで送迎もある安宿に泊まることにしました。空港でも宿泊できるところがあるようですが、結構高い。というわけで、地球の歩き方にもどでかい広告を出していたSHIGETA TRAVELさんにお世話になりました。
宿自体は小汚い感じではありますが、1泊寝るだけなので我慢ガマン。。立地的にはよくて、ニューデリーのバザールあたりにあり、1泊してそれから夕方まで時間があったので荷物も預けられて助かりました。5〜8キロくらいの荷物を背負ったまま歩き続けるのは無理。
食事はやっぱりカレー!少しバザールのあたりを散歩していて見つけた地元の人がたくさん座っているお店へ。Rotiという発酵していないナンみたいなのにはネギなどが入っていて、カレーは複数種類あって100ルピー。インドの物価の安さに驚きました。
食事後のデザートは、ラッシー!ラッシー作っているところはじめてみましたけれど、ヨーグルト(水牛ので「カード」と呼びます)と砂糖、氷をミキサーでかきまぜるだけなんですね。家でも作れそう・・、とか思いつつインドのラッシーを堪能。初日だったので、お腹の調子を気にしてあまり飲み過ぎないようにはしました。
インドはたくさんの宗教や言語、人種が混ざっている国みたいなのです。ヒンドゥー教がメインのインドですが、デリーにはイスラムのモスクもあります。今回はジャーマー・マスジットというモスクに行ってみました。かなり大きいモスクで、インド系の観光客もたくさん訪れていました。短パンだったので肌を隠す布とカメラ持ち込み料にお金をいくらか支払い入場。(こういうところに行く際は裾を上げ下げできるようなパンツがいいですね)
普通に見学しようと思っていたのですが、なんかインド人っぽい人から話しかけられる。片手にはスマホ。先方は「フォオトォ」とか言っている。(なんだこれは・・?)とりあえず相手のペースに飲み込まれ、写真を撮られる。(意味がわからない。。)なぜ写真を撮られているのかわからず見学を継続するも、違う人からまたこちらを見ている(見つめている・・)。もうこの流れに身を任せるしかない、入場にいくらか払ったことが納得できないでいたので、これで金を取ったろうかと思い、ジェスチャーしながら「テン・ルピー!」と言ってみたものの全く聞かない。彼らは自分たちの言い分はしつこいほど言い続けるが、こちらの要求は聞かないのだ。これがインドでのカルチャーショック第一弾であった。
その後、寝台電車に乗ることもあるので寒いかもしれないしスカーフっぽいのが欲しいなと思い、路端のお店でよさそうなのを購入。あー、これターバンにもできるよな、と思い装着。装着してまちなかを颯爽と歩くと、インド人からの声のかけられ度が減る。声をかけられても「ハロー、マハラジャ〜」と対応が一気に変わった。是非インドに行ったらターバンを巻いてマハラジャ、と呼ばれる体験をしてみて欲しい(←誰。
首都としては汚くて、雑な感じがした。が、カレーは美味しかった。ちなみにSIMも購入しましたが、ニューデリーのバザール(中心の方)にある3GとかVodafoneとかAircelとか書いてあるところで普通に買うことができました。これでGoogle Mapなども自由に見ることができる。
こちらも事前に読んだ本です。
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毎年連休ではなく普通の日に最低1週間は有給休暇をまとめて取得して休むことを心がけています(今年の目標は3回くらい長期休暇で何処か行きたい)。というより、仕事の密度をあげて、休みはしっかりオフラインの時間を過ごすことを意識している感じでしょうか。
アジアへはここ数年で幾つかの国に行っていますが、タイと同様にバックパッカーの聖地のようなインドへは行ったことがありませんでした。なんとなく興味はあったけれどなんとなくまだ呼ばれていなかったのか、機会がなかったのか今回が初インドです。
王道コースからは外した感じでの旅程での計画。出入国はデリー、北西部のラジャスタン州へ。途上国ならではのゆっくり移動というのが好きなので、今回は世界で5番目に総距離が長いというインドの鉄道に乗りました。ラジャスタン州は北西部なので、パキスタン寄りでアラブの雰囲気もある、インドではあるけれど、少し雰囲気の違う地域でした(詳細は後日写真含め書こうと思います)。
3月の3連休も少し活用し、4営業日の有給休暇を取得して合計9日間(移動含む)の旅程になりました。寝台列車も利用しましたので、列車での宿泊や、飛行機内での宿泊も含めて少し詰め込み過ぎたかな、と思いましたが案外ゆっくりと時間を使えた感じでした。地球の歩き方にもなかったルートですので1週間お休みが取れたかたのご参考になれば。ちなみに3月のこの時期、ラジャスタン州は非常に暑いです(日中は40度近く)が、ホーリー祭という国民的イベントが行われていて楽しいです。
Day1:羽田発(中国南方航空にて広州 経由)夜23時頃 デリー着、ニューデリー付近にて宿泊
Day2:デリー観光 → 夕方 寝台列車にて移動・宿泊
Day3:午前 ジャイサルメール着、午後 市内観光
Day4:キャメル・サファリ、砂漠にて野宿
Day5:午前 ジャイサルメール市内へ、市内観光
Day6:列車にてジョードプルへ移動 午後着、市内観光(ホーリー祭)
Day7:ジョードプルにてヨガ、観光
Day8:飛行機にてデリーへ、夕方〜夜 デリー、深夜便にて羽田へ
Day9:羽田着 (広州 経由)
詳細はまた後日ですが、様々な言語/カルチャー、貧困、貪欲、ひょうきんな人々、商人気質・・・いろいろ人が渦巻く国でした。これは行ってよかったと思えるし、改めて日本の外を考える機会になりました。7年くらい前に長期滞在していたヨーロッパでも味わえないようなカルチャーギャップを少しばかり感じたことだけでも行った意味がありました。
最近は地球の歩き方のKindle版もあるようです。(7インチくらいのタブレットなら見やすいかな?)
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行く前に観たインド映画。