4月はいつもに比較して少し忙しかったようで、余裕がなく全く書けていませんでした。無事Golden Cityと呼ばれる砂漠の街ジャイサルメールまで到着(前回記事)しました。あまり知られていない街のようですが、ここは古代において陸路の中継地点として反映したという歴史があるようです。コンパクトな街ですが、それがまた良いところでした。
Day3〜Day5までまとめてのエントリーです。
Day1:羽田発(中国南方航空にて広州 経由)夜23時頃 デリー着、ニューデリー付近にて宿泊
Day2:デリー観光 → 夕方 寝台列車にて移動・宿泊
Day3:午前 ジャイサルメール着、午後 市内観光
Day4:キャメル・サファリ、砂漠にて野宿
Day5:午前 ジャイサルメール市内へ、市内観光
Day6:列車にてジョードプルへ移動 午後着、市内観光(ホーリー祭)
Day7:ジョードプルにてヨガ、観光
Day8:飛行機にてデリーへ、夕方〜夜 デリー、深夜便にて羽田へ
Day9:羽田着 (広州 経由)
〜前回まで〜
コンパクトなテーマパーク感覚な街
前日にデリーから寝台列車にて出発し、翌日の午後前辺りにジャイサルメール駅に到着しました。駅に到着してからホテルまでの送迎つきだったので、タクシーなどの客引きは気にせず直進。
東京パレスというところに宿泊したのですが、スタッフは日本語もしゃべれて気さくな感じでよかったです。中心街まで少し歩きますが、コンパクトな街なので、そんなに気にならずな位置でした。
街には砦(Fort)があり、その周辺に城下町のようなかたちでマーケットや店があります。夕方になると夕日が望めるレストランなどもあるようで、ゆっくり過ごすにはいい街だと思います。気温はかなり高く、40度近くありましたので、真っ昼間にはあまり出歩かずに夕方から出て夜ご飯食べて戻る、という過ごし方がいいかもしれません。東京パレスにはプールがついていますので、あまりにも疲れたら水浴びするのが良いです。
無効に見えるのが砦。ハヴェリーというお金持ち(マハラジャ)が住んでいた家の屋上から。
サーガルという人造湖。アヒルボートの貸出もしてますが、インド人しか乗ってなかった。
囚われる、俺氏。また、写真撮られた。
コンパクトでかわいい感じの砦なので、昔ながらの民族衣装とかをまとった人たちがいて、王さまが特定の時間にでてきて、とか昔の雰囲気を疑似体験できるテーマパークみたいにしたら面白いんじゃないかなあと勝手に妄想していました。気持ち的にはタトゥイーンに来たような感じ?
そこら中に牛が歩いていたり、寝たりしています。牛は神聖ないきものなはずなのですが、蹴っ飛ばしてどかすこともある。
野菜を売っていたり
機械のスクラップとか買い取ってそうなところとか
インド人の商魂?
砦のなかにもお店がたくさんあり、客引きがすごいです。そんな中僕はというと、気になった洋服屋の店員から声をかけられ、「とりあえず中へ入って試着してってよ」とまんまと罠にひっかかりました。買おうと思っていたので、いいのですが、値段感、モノの良さの感覚がまだわからなかったので、「戻ってくるから」とお店を一旦出ようとしました。
すると先方は必死に止めに入る。なんだか面倒だったのでその流れに任せて色々物色し、パンツ・シャツ・スカーフの3点セットを揃えられた。試着し終わると、早速値段交渉・・。
店員(電卓見せながら)「これ(3000ルピー)が定価」
僕「うーん、高いな。これならいいや、砦のほうに行くからもういいよ」
店員「じゃあ(これ3つで)いくらなら買う?」
僕「1000なら買うよ」
店員「いやあ、無理無理うちにも利益が必要で、家族もこれで養わないといけない、1000はキツいよ」
僕「じゃあ買わないよ、じゃあね」
店員「待って待って、理解してくれよ、君は日本から来て、(金があるし、)僕たちはそんなにないんだ。これで養わないといけないんだよ」
僕(キレぎみに)「いや、君の利益がいくらで、この洋服の原価がいくらか俺はわからないから、どの価格が適切かどうかわかんないし。原価いくらなんだよ?」
店員「いやだから、うちは利益必要だし、家族を養わないといけない」
・・、とまさかの泣き落とし作戦でなんどもこの言葉を言われ、こっちも同ことをいい続けるも向こうは折れない。
店員(固執することに懲りたのか)「わかった、1000は無理だけどもう少し値段あげてくれ、いくらなら買う?」
、と再度値段設定を要求してきた。もう買うのも嫌だけど、面倒だからこの場を早く抜け出したいという思いで、買うのはいいけどなるべく価格は押さえたいと思い始める。
僕「じゃあ、1500」
店員(じゃっかん演技っぽい感じで残念そうだが涙ぐみつつ)「わかった。だけどな、うちには養うべき家族が・・。でもこれでいいよ、ありがとう!」
(そして、服をくしゃくしゃに袋に詰めながら)「ぜったいに日本の友達にはこの店をおすすめしてくれよな!」
僕「OK、OK。じゃあねーさんきゅー。」
ぜったいこの店は誰にも勧めないと誓いムシャクシャしながら城へとぼとぼ向かいました。いやあ、簡単な罠ですが、泣き落としでお金を落とすとは思ってもいませんでした。ここにインド人の商魂のたくましさ?を感じました。それくらい生きるのに必死なんだろうな。それは見習いたいと思いましたが、なんとなく良くない買い物をした感じが(そのあとお店で聞くとそんなに高くなかったし)して気持ちよくありませんでした。ちなみにその中のパンツはいい感じにパジャマとして利用しはじめております笑。
インド人の生きる力?と自省
インド人の商魂のたくましさ、で思い出すのはここジャイサルメールでは、お金をくれと言ってくる少年少女が多かったです。東京パレスの近くは一般の家庭が住んでいる住居が立ち並んでいたのですが、外で遊んでいる少年少女が「カメラで写真撮って~」と近寄ってくるところまではいいのですが、「マネー」と直接的に言ってくることも多々ありました。もう10代半ばくらいになりそうな少年はホーリー祭のグッズを買いたそうに店をまわっていたのですが、僕を見て「マネー」と言ってきたことには驚きました。これくらいの年になっても自立ができていないようです。
この子たちはマネーとは言いませんでしたが
この子達も普通に写真撮って欲しかっただけだったが
それ以外にもキャメルサファリに出掛けた際にラクダにのりながら通った小さな村の子供が「ペン」と言ってくるのでボールペンが欲しいのだと思い、お金をあげるよりはこれで勉強してくれるのであれば、と思いちょうど手元にあったボールペンをあげると、そのあとこれはもらえるかも、と思ったのか「マネー」といい始めました。お金はあげたくないんだよ、と思っていたので、かなり裏切られた感があり残念でした。
ホーリー祭が近いのでカラフルになっている人が多かった。砂漠に向かう途中。
観光客は確実に自分達よりもお金を持っていると分かっていて、もらえるものはもらいたい、という考えになっているんだろうなと感じました。彼らにはペンが必要なはずなのに、そのペンを与えられず、与えられても活かせる環境がないのではないか、とも思いました。残念に感じる反面、彼らには環境が限られているが、自分自身は比較してしまうといい環境にいて、自分で考えてその環境を変えられるというのは恵まれているということを感じ、もっとチャレンジした方がいいのかなと自省にも繋がりました。
ジャイサルメールの夜。
キャメルサファリ
閑話休題・・。
半日ほどジャイサルメールの街を歩いて、翌日はキャメルサファリに参加しました。砂漠の方まで車で向かい、ちょうどいいところからラクダにのって、砂漠の方へ向かいます。ラクダに乗るのははじめてでしたが、駆け足とかもできるのは意外でした。すこしラクダにのって、草木も少なくなったところまで到着するとそこで夜ご飯の準備を開始。その間砂漠から見える夕日などをみたりしてまったり過ごします。
ご飯は簡単なカレーとチャパティ(ナンの発酵してない版)でした。砂混じりに食べる。食べ終わるとかなり日も落ちてしまい、あとは寝る準備するだけ、という感じです。キャンプファイアをやるとプランには書いてありましたがが、特に声をかけられずにキャンプファイアしないで終わりました。
そこら辺の乾燥した木を薪にして、調理。
夜はかなり冷え込みます。星空はすごく綺麗でしたが、ちょうど満月にちかかったので夜でもかなり明るかったです。昔の人は満月が嬉しかっただろうな。
布団を2枚もらっても超寒い・・(しかもテントなしで野ざらしにされたベッドの上で寝るというなんともサバイバルというかなんというか・・)。優雅な暮らしが好きな人にはぜったいにおすすめしません!笑
そんなこんなでキャメルサファリも満喫し東京パレスへ戻る。午前中に戻れたので休憩して、夜寒かったせいかすこし体調悪くなりながらも市内を観光し、Day5終了。
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〜2016年インド旅記事〜