この本は数年前に流行った、『フラット化する世界』に似たように思えた。読んだ雑感をば。
軽量かつ希望に富む
新書で280ページという軽量で読みやすいが、示唆に富む。古代から近代、現代へとどういうロジック(或いは仕組み)で歴史が変わってきたか。ゲームが変わるのは偶然の賜物だろうが、そこにある構造は大きく変わっていない。歴史から構造を理解し、では現代はどうだろうかというように。この議論に結論など求める方が愚かだったかもしれないが、レイヤー化する社会では、レイヤーごとの付き合いをすること、多層に渡る関わり合いにより自分の色(プリズム)を見つけることだという。
新たな絶望 と 多重的なつながり
例えばAppleやAmazonのようなプラットフォームが帝国と化し、その上でモジュールとして踊れ、という世界を話しているのであれば、それはある種の絶望も抱かせる。例えば、『新ネットワーク思考』では、ハブがネットワークを支配すると言っている。
ハブの存在は、サイバースペースは平等だというユートピア的幻想への最強の反証になる。なるほど、人は自分の意見をウェブ上に発表する権利を持っている。だが、いったい誰が見てくれるというのだろう?―新ネットワーク思考(p.85)
言わば、誰にでも機会は提供されているが、支配権を握るのはハブとなり得るコネクターであるということ。AppleやAmazonはそれ事態でプラットフォームにもコネクターにもなっている。人であれば有名人なんかはプラットフォームをうまく活用して人と人をつなぐコネクター/ハブになっている。
本書や新ネットワーク思考でも考え方は似ているかもしれないが、多重的に繋がりを持つ/作ることが次の時代(今までもそうだったかもしれないけど)の戦略であるであるということだろう。新しいようで実は新しくないが、再認させてくれる。
やりたい仕事病
理想論、構造論はわかったが、解は自らみつけだそう、という論調で本書は締めくくられている。これはなんだか「仕事や私生活の中でやりたいことを見つけて、その中で関わりを深めなさい」と中高生に伝えるかのようなトーンだ。
読み方を間違えると、やりたい仕事を探しても空回りしちゃう、という方向に導きかねない。結局は、この大枠の動きすら意識できない人には深堀もできないという意味で書いているのだとは思うが。
世界を広げる
そんなことを読んで思ったが、今の期間のうちにいろんなつながりを作らなければと感じる。今いる会社のことばかり考えず、その外から考えて見ることなど。業界や職種に縛られずに考える必要があると漠然とは思っている。そう思いつつも、ハブとしてレイヤーで踊ることが大切なの中で、一体このブログを誰が読むというのだろう?という絶望をもってこの投稿を締めくくりたい。