イスラエルになんて何で行ったんだと言われ続ける帰国後の日々ですが、そろそろ落ち着きはじめました(ゆってもそんなに言われてないか・・)。
「一生に一度は行きたいでしょ?」と言ってもあまり理解されません。悲しいですね。
ほとんどイスラエルの事なんて知らなかったけれど、少し国際関係学を齧っていた身としては、たまに話題に上がる問題だった。この中近東の問題がかなり複雑で、学ぶことを諦めてしまったくらい。
「イスラエル」と聞くと、「ユダヤの国」「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地」・・などといったイメージは上がると思うが、僕が持っている「ユダヤの国」のイメージとは少し違った。ここはもはや国ではないかもしれない。
(ヤドバシェムのホロコースト記念館)
ちなみに観光編はこちら。
イスラエルとは
イスラエルはシオニズムという思想から造られた国である。ドイツ中心に迫害され続けていた歴史から脱却するために、祖国に戻ろうという思想である。そもそもイスラエルという国は古代には栄えたものの、60年前にイスラエルが建国されるまではその土地ではアラブ人(パレスチナ人)が暮らしていた。60年前にその建国の機運が高まって、イギリスなどからの支援もあり建国ができた。
イスラエルという国は、その建国当初から「ユダヤ人/教」というつながりによって建国された。したがって、イスラエルはユダヤ人を優先的に受け入れ、元々いたアラブ系の人々を外に追いやっていった。
宗教でつながらざるを得ないくらい、若いくにだからしょうがないとは思う。それに、迫害されつつけた悲しい歴史があるんだと思う。それは理解したい。ドイツでの大殺戮も相当なものだ。
この旅で入国と出国に手間がかなりかかった。全ての異国民(自国民以外)には厳しくセキュリティチェックをする、一方で自国民は軽いチェックで済んでいる。これくらい厳しいセキュリティになるのは、宗教上の対立によるテロが過去に起きたからでもある。
その異国民に対するアレルギーというのは、この歴史観からすればしょうがないのかもしれない。
イスラエルというのは一言では説明がつかないような国だと感じた。
イスラエルの小さな矛盾
そんな歴史観、政治観、地政学的状況を考えると、異国民(特にアラブ系)に敏感なのは確かに理解できる。入国の時のセキュリティチェックの時は、「そういう歴史だから、これくらいのセキュリティチェックはしょうがない」と思って我慢した。
エルサレムのヤドバシェムというところにホロコースト記念館がある。非常にきれいな建物で、かなりのお金がかかっている。どうもドイツ政府から費用をもらっていたりするようだ。その歴史を忘れてはいけないし、二度と繰り返すようなことがあってはいけないと思う。
ホロコースト記念館でふとこんなことを思った。
「今イスラエルがアラブ諸国を、宗教や属する国によってみている見方も、ホロコーストを起こしたときと似たような思想なのではないだろうか?」
要は、今イスラエルがアラブ諸国を毛嫌いしているのは、「イスラム」という信条にアレルギー反応を起こしているのと同じではないかということだ。お互いにではあるけれど、現に武力的なことが行われていたりするだろう。武力的なことをしていなくとも、壁を作るのなんて似たようなことをしているとしか思えない。
(アラファト議長のお墓)
融和へ?
一方的に誰かを攻めようとかそういうことは思っていない。強く共感したのは、偶然エルサレムで会った方が「融和を目指すべき」という言葉。今やユダヤ人とパレスチナ人の人口比率は半々くらいだそうだ。せっかくリソースがあるのに使わないのはもったいない。
経済の発展や、文化の発展には人々の交流が必須だと思うし、政府もそのように動かなければならないのではないだろうか。イスラエルが強くアメリカに影響されているから、中東における衛星国家みたいな役割になってしまっているのかもしれないが、このままでは誰もふしあわせになってしまいそう。
日本人の認識もまだまだだよな、地球の歩き方はイスラエルのみだが、Lonely Planetにはパレスチナも合わせての情報が載っている。
簡単すぎる雑感だが、もう少しちゃんと考えるきっかけにもなってよかった。ほんと上は短絡的なことなので、詳しい人からはお前は分かっていないと言われそうですが、そこはご容赦ください。
行ったところの地図などもある、観光編はこちらから。