Poo-tee-weet?(プーティーウィッ?)

ビジネス書などに関する紹介・感想をメインに記事を書いています。経営、組織論、テクノロジー、マーケティング。

人間とは何なのか?幸せとは何なのか?人類の歴史を壮大なスケールで理解するー『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』を読んだ

人類とはどういう存在なのか、周りを囲む情報・文化などはどのように作られたのか、それは誰しもが疑問に思い、それを追求し続けることだろう。本書は歴史的な視点から人類(ホモ・サピエンス)に起こった3つの革命を軸に人類が何を求め、現在に至るのかをあらゆる例を上げながら説明される。上下巻でかなりボリュームもあり案の定ハイライトしまくってしまい、ここでは書ききれないこともたくさんありすごく充実な知見を得られる本だと思い大満足です。以下、引用多めで雑ながらも頭の整理も含めて書いておきたい(間違いなどはご容赦を‥)。

 

https://www.instagram.com/p/BOZTVGogKl8/

 

もくじ

 

認知革命が人類を人類足らしめた大きな一歩

 

効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって厖大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。なぜなら、そのおかげで無数の見知らぬ人どうしが力を合わせ、共通の目的のために精を出すことが可能になるからだ。想像してみてほしい。もし私たちが、川や木やライオンのように、本当に存在するものについてしか話せなかったとしたら、国家や教会、法制度を創立するのは、どれほど難しかったことか。
ー上巻 Kindle location 647

 

人類が初めて経験した革命は、「認知革命」と本書では説明される。ネアンデルタール人などのヒト属の同種族と呼べるような存在が何万年もの前に淘汰され、ホモ・サピエンスのみが生き残った理由は、認知力を高め、さらにそれを言葉として表現することにより、より高次元な行動ができた、これが大きな第一歩だった。たしかに周りにあるものすべてが人類が思いついた(なぜだかそれが好まれたりする)想像上のものに囲まれて暮らしているとまじまじと感じ鳥肌がたった。もともとの宗教的なクリスマスも、日本人がそれを咀嚼して恋人たちがいちゃいちゃするということにしたのも、クリスマスにケンタッキーフライドチキンを食べたくなるのも*1すべてが虚構である。

 

こう感じはじめると文字通りすごく虚しくなってきてしまうが、それが人類の歴史で何度も何度も形を変えて繰り返された事実、これにより人類が進化をしてきた、今我々がここに存在する背景であることは逃れられない事実だ。(余談というか話がそれるが、この「認知革命」、ある界隈ではきっと宇宙人が地球に来て手術をしたとか、我々が宇宙人だったとかの話もありそうだがそんな話は本書には出てきません。)

 

農業革命は実は自らを家畜化する詐欺だった

よく考えてみるとそうだ。狩猟採集をしていたほうが、リスクはあるが栄養価の高いものを食することができる。そのリスクを嫌ったのか、人類は自ら毎日コツコツ働き、育ちにくい小麦をなんとか育たせるように工夫をこらしてきた。今日資本主義社会においてリスクを取って利益を得る、という考え方を少なからず勧めている社会とは真逆の方向のことを何千年もの間、人類は行っているのである。この背景を持った人類からコツコツすることを推奨する文化や宗教というのは自ずと生まれてくるのだろうか。

 

人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。
ー上巻 Kindle location 1517

資本・政治・科学のフィードバックループ

 

科学は今でこそ軍事から最先端な技術が生まれ、それが一般利用されるようになる、という認識があるが(例えばインターネット)、なぜこれほどまでに科学が進歩したのだろう。虫の研究などその人が好きであっても誰も彼に出資することはなかっただろうし、今でも虫の研究に出資するというのは個人的には傾倒しようとは思わない(虫の研究が何らかの衛生的な発見につながるなどあるだろうからその研究を批判しているのではない。言語学だって人類学だって社会学だって当初はお金がつくようなものではなかっただろう)。

 

しかし、あらゆる研究は富を拡大するために必要だった。特に植民地支配を進めていく中では現地の人々の文化、言語を話さなければ誰ともコミュニケーションできないし奴隷化することもできなかっただろう。その土地固有の疫病などがあって死者が続出した、といったことがあったら原因を究明し、解決しようとするだろう。そんな具合に、富を消耗をなるべく少なく行うには「研究」が必要だった、そこに資本が必要だった。さらに、それを超えて”富を拡大する”という今でも”お金のために”というと少し汚らわしさを感じられることを、より高貴なものとして扱うことで正当化することであらゆる研究へ手を広げていった。

 

ほとんどの科学研究は、それが何らかの政治的、経済的、あるいは宗教的目標を達成するのに役立つと誰かが考えているからこそ、資金を提供してもらえる。たとえば一六世紀には、王や銀行家は世界の地理的探検を支援するために、厖大な資源を投じたが、児童心理学の研究にはまったくお金を出さなかった。それは、王や銀行家が、新たな地理的知識の発見が、新たな土地を征服して貿易帝国を打ち立てるのを可能にすると思ったからであり、児童心理の理解には何の利益も見込めなかったからだ。
ー上巻 Kindle location 1213

 

物理学や生物学、社会学を形作り、特定の方向に進ませ、別の方向を無視させたイデオロギーと政治と経済の力も、考慮に入れなくてはならないのだ。  とくに注意を向けるべき力が二つある。帝国主義と資本主義だ。科学と帝国と資本の間のフィードバック・ループは、過去五〇〇年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだったと言ってよかろう。
ー上巻 Kindle location 1254

 

日本が例外的に一九世紀末にはすでに西洋に首尾良く追いついていたのは、日本の軍事力や、特有のテクノロジーの才のおかげではない。むしろそれは、明治時代に日本人が並外れた努力を重ね、西洋の機械や装置を採用するだけにとどまらず、社会と政治の多くの面を西洋を手本として作り直した事実を反映しているのだ。
ー上巻 Kindle location 1397

 

だが帝国が言語学や植物学、地理学、歴史学の研究に資金提供したのは、このような実用面での利点だけが理由ではない。それに劣らず重要な要因として、帝国が科学によってイデオロギーの面で自らを正当化できたという事実が挙げられる。近代のヨーロッパ人は、新しい知識を獲得するのは例外なく良いことだと信じるようになった。帝国はたえず新しい知識を生み出していたので、進歩的で前向きな事業であるという印象を持たれた
ー上巻 Kindle location 1752

 

 

 

宗教と幸福について

下巻は宗教の話から始まる。宗教が身近にあまりない人としては、やはり宗教って何なんだろうかと思うことが多い。駅前などに立っている宗教勧誘の人や、クリスマスに聖歌を歌う人々。それらすべて僕には理解しがたい存在だと言える。一方で、やはりなんとなく文化というのはどこかに根付いていて、お正月に初詣をすることや、神社仏閣にはなんとなく神聖さを感じる。それは自分に手に負えないようなことを、存在しない第三者に託すことで何かを正当化することができることなんだろう。こう書くと悲しくなるが、歴史はそう動いてきたのだろう。宗教にも資金が流れ、人々にそれを信じさせ、何かの思惑を達成してきた。現代の広告と同じようなものなのかもしれない。ケンタッキーフライドチキンを食べるべき日は12月25日なのだから。

 

今日、宗教は差別や意見の相違、不統一の根源と見なされることが多い。だがじつは、貨幣や帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する三つの要素の一つだったのだ。社会秩序とヒエラルキーはすべて想像上のものだから、みな脆弱であり、社会が大きくなればなるほど、さらに脆くなる。宗教が担ってきたきわめて重要な歴史的役割は、こうした脆弱な構造に超人間的な正当性を与えることだ。
ー下巻 Kindle location 74

 

宗教と同様に幸せについて考えない人はこの人類にはなかなかいないと思う。カレーを食べることが人生で一番の幸福を感じるとか、都内の高層マンションに毎晩パーティを開くことが幸せだとか。年収が800万円あたりを超えると幸福度の向上は鈍化する*2とかそういう研究もあったりする。現代は200年前に比較してより便利になり、より個人が活躍できる時代になっていると言われているなかで、現代の幸福感とは「期待値」の問題であると本書では述べられている。確かに200年前の人は50人くらいのコミュニティに暮らし、その中で自分の立ち位置が明確になればそれでよかった。今ではFacebookやInstagramなど個人が主張する「場」はあるが、それが評されるかどうかはわからない。人気アイドルは加速度的に周りからの「いいね!」をもらうようになるが、成り下がった人は不満を感じる。こうやって比較していくとキリがない。こうやって不幸感が生まれるのかもしれない。また、生化学的にみるとこのような背景なんて一切関係なく、セロトニン、ドーパミン、オキシトシンを脳内で放出することが幸福なのだということにも気づいている。幸福が科学でコントロールできる可能性があるのだ。更には幸福を感じ続けることは客観的にみると奇妙に見えるというのもおもしろい視点であった。

 

過去二世紀の物質面における劇的な状況改善は、家族やコミュニティの崩壊によって相殺されてしまった可能性が浮上する。となると、現在の平均的な人の幸福度は、一八〇〇年の幸福度と変わらないのかもしれない。非常に重視されている自由でさえも、私たちに不利に働いている可能性がある。私たちは配偶者や友人や隣人を選択できるが、相手も私たちと訣別することを選択できる。自分自身の人生の進路に関してかつてない絶大な決定権を各人が行使するようになるにつれて、深いかかわりを持つことがますます難しくなっているのを私たちは実感している。このように、コミュニティと家族が破綻を来し、しだいに孤独感の深まる世界に、私たちは暮らしているのだ。  だが、何にも増して重要な発見は、幸福は客観的な条件、すなわち富や健康、さらにはコミュニティにさえも、それほど左右されないということだ。幸福はむしろ、客観的条件と主観的な期待との相関関係によって決まる。
ー下巻 Kindle location 3326

 

幸せかどうかが期待によって決まるのなら、私たちの社会の二本柱、すなわちマスメディアと広告産業は、世界中の満足の蓄えを図らずも枯渇させつつあるのかもしれない。もしあなたが五〇〇〇年前の小さな村落で暮らす一八歳の青年だったら、自分はなかなか器量が良いと思っていただろう。というのも、村には他に男性が五〇人ほどしかおらず、その大半は年老いて傷跡や皺の刻まれた人たちか、まだほんの子供だったからだ。だが、あなたが現代のティーンエイジャーだとしたら、自分に満足できない可能性がはるかに高い。同じ学校の生徒は醜い連中だったとしても、あなたの比較の対象は彼らではなく、テレビやフェイスブックや巨大な屋外広告で四六時中目にする映画スターや運動選手、スーパーモデルだからだ。
ー下巻 Kindle location 3364

 

世界恐慌のさなか、一九三二年に出版されたオルダス・ハクスリーのディストピア小説『すばらしい新世界』(黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫、二〇一三年、他)では、幸福に至上の価値が置かれ、精神に作用する薬物が警察や投票に取って代わって政治の基礎を成している。そこでは誰もが毎日、「ソーマ」という合成薬を服用する。この薬は、生産性と効率性を損なわずに、人々に幸福感を与える。地球全体を統治する「世界国家」は、戦争や革命、ストライキやデモに脅かされることはけっしてない。なぜなら、何者であろうとも、誰もが自らの現状にこの上なく満足しているからだ。ハクスリーの未来像は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』(高橋和久訳、ハヤカワepi文庫、二〇〇九年、他)よりもはるかに不穏だ。ハクスリーの描く世界は、多くの読者にとって恐ろしく感じられるが、その理由を説明するのは難しい。誰もがつねにとても幸せであるというのに、そのどこが問題だというのだろうか?
ー下巻 Kindle location 3481

 

本書の面白さ

本書が面白いのは、上巻では人が作り出した虚構(「想像上の秩序」)によって「認知革命」が起こり、それを起点に「農業革命」や「科学革命」を経験し、あらゆる困難はあったものの、すばらしき現在まで至るというエキサイティングな話が語られる。その一方で、結局のところ幸福とは何なのか、生物学的に研究をすすめると、結局はある脳内物質(セロトニン、ドーパミン、オキシトシン)が放出されることによって幸福感を感じているだけだと下巻の後半で述べていることにある。つまり、人類というのは矛盾した存在であり、それを受け入れる必要があるというところだ。

 

それこそまさに、私の言う「想像上の秩序」にほかならないからだ。私たちが特定の秩序を信じるのは、それが客観的に正しいからではなく、それを信じれば効果的に協力して、より良い社会を作り出せるからだ。「想像上の秩序」は邪悪な陰謀や無用の幻想ではない。むしろ、多数の人間が効果的に協力するための、唯一の方法なのだ。ただし、覚えておいてほしいのだが、ハンムラビなら、ヒエラルキーについての自分の原理を、同じロジックを使って擁護したかもしれない。「上層自由人、一般自由人、奴隷は、本来異なる種類の人間ではないことを、私は承知している。だが、異なっていると信じれば、安定し、繁栄する社会を築けるのだ」と。
上巻 Kindle location 2061

 

地上に楽園を実現したいと望む人全員にとっては気の毒な話だが、人間の体内の生化学システムは、幸福の水準を比較的安定した状態に保つようにプログラムされているらしい。幸福そのものが選ばれるような自然選択はけっしてない。満ち足りた隠遁者の遺伝系列がやがて消滅するかたわら、ともに心配性の両親の遺伝子は次世代に受け継がれる。幸福と不幸は進化の過程において、生存と繁殖を促すか、妨げるかという程度の役割しか担っていない。それならば、進化によって私たちが極端に不幸にも、極端に幸福にもならないように形作られていても、不思議はないかもしれない。私たちはあふれんばかりの快感を一時的に味わえるものの、そうした快感は永続しない。それは遅かれ早かれ薄まっていき、不快感に取って代わられる。
ー下巻 Kindle location 3402

 

生化学システムによると幸福水準を安定的に保つように人間はプログラムされているという事実までわかってしまった、矛盾した存在の人類。人類は矛盾の中で筆者が最後に述べるように、「私たちは何になりないのか?」ではなく「私たちは何を望みたいのか」を追求することが今まさに求められているのかもしれない。「自分はどうありたいのか?」というのは思い出すたびに考えることであるが、本書を読んでだいぶ吹っ切れたというか、自分がどうしたいのか、と合わせて何を望みたいのかということを意識したいと思える、ボリューム感もたっぷりで大満足な本書だが、最後の一文が含蓄が富んでおり、刺さりました。

 

私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう。
ー 下巻 Kindle location 3997

 

それでは私たちはなぜ歴史を研究するのか? 物理学や経済学とは違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。たとえば、ヨーロッパ人がどのようにアフリカ人を支配するに至ったかを研究すれば、人種的なヒエラルキーは自然なものでも必然的なものでもなく、世の中は違う形で構成しうると、気づくことができる。
ー下巻 Kindle location 646